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名古屋市中区にある、ヘアサロンvice-versa
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 人は迷う。





            迷うのは優柔不断で、よくないことって思ってる?





        私は、逆に「正常」な証拠だと思います。





         ナゼって、人は、脳が発達してるからね、





  本能だけで生きてないからだよ。





    だから当然、迷うし、考える。







        自己完結できる事柄に対しては、迷う必要ないことも多いけど、





              自分だけのことじゃないこと、




     私たちの身に起こること、関わってくることって、





 それがほとんどですよね?




  そうなったら、迷わず決めれることって、少ないと思うし、




    迷わず決めちゃってるのは、なんだか




「えーい、これいでいいだろう!」って感じのとき、多くないですか?





 これってちょっと捨て鉢、「めんどくさい」ってとき、





 ですよね。




 それって、結構ストレス受けてるとき・・っていうか、ストレスと感じてるとき、とか、




      体力が劣ってるとき、




    じゃないですか?




  これ、ちょっと、よくないときだよね。




        健常で、思いやりある人は、「迷う」





       それが心身ともに健康な状態でしょう。





           迷うということは、他人を慮ったり、考慮するときだもんね。




     やさしいんだ。




  だから、今起こった出来事に対して「白か黒か、イチかゼロか」とか、




        「一刻も早く答えを!」とかは、




 「あー、この人、つかれてるんだな」とか「あーこの人、余裕がないんだな」って思う、





 そして当たってる。




 ストレス受けてて、つらいんだ。きっと眉間にしわ寄ってるよ。




     
    かわいそうな人かも。




 
           その人のキャパを超えた重責を追ってるんだ。





 そういう人が多い社会や、集団も、





 そこ、ストレス受けてるよ。




          だから、みんなつらい。




  考えたくない、迷いたくない、めんどくさいから。




   だから、すぐ答えだしたい、「やめる」「あきらめる」




  
          それ、つらい証拠だね。わかるよ。






      でも、もう少し視野を広げて、深呼吸して。




            ほーら、




  自分に優しく。





     それから、「人にやさしく」できるんだよ。





             「自分に優しくって、どういうこと?




 甘やかすことと違うの? そうしていいのか迷うし、そうすればいいかわかんない。」





 いいんだよ、自分の思うようにやってみて。




  考えて、迷って。




       その中から、答えや、自分の納得や悟りを





 紡ぎだしていくんだよ。





    それに時間かかっても、いいのだよ、それが生きること、





         それが、自分を創ること。




  それやんなきゃ、「自分」創れないからね。





            おおいにやりましょう、





 考えて、迷って。





         そうやって、自分を大切に育てていく。





         自分に優しくできる、余裕のある人が多い社会が




       人にも優しく出来る社会。





               迷う人々を切り捨てない、





       迷う自分をごまかさない、





        考える。





           人は、イチかゼロで割り切れるものじゃないんだよ、





    それが人本来。そういうことを認識している社会、





            そういう社会が、正常で健全ではないかな。。。




























            そんな感じです。









        

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     人の想いは、そのときは目に見えないけれど





      すべてを左右している。






        現象として、のちに必ず現れる。




         隠し切れない。




 
     基本的に「うそ」はつけない仕組みになっているのです。




  
   だから、なに考えてるかが、とても大事なんだね。





    「 人間って不思議、この世って不思議。」って思うけど




         
           実は当然のこと。





     すべてはつながってるのだ。




          他者に危害を及ぼした人に対しては、




  その及ぼされた他者との関係や感情的な問題もあるから、




       人が作った法で裁いたり、人間が制裁をくわえたりするけど





   本当は、それがなくても、





    いずれその人には必ずその償いをするようなことが起こる。




  因果応報だ。




   良いことも悪いことも。




   だから、そういうことは、人間がどうのこうの思わなくてもいいんだ。




  天に任せよう。




       自分はただ




     自分自身こうありたい、




            自分の影響の及ぶ範囲の関係をこうしたい、





        そう祈ればよい。




         周りの人と一緒に幸せになりたい、





       自分自身、自分や人を裏切らない人間になりたい。





     ・・・そう思っていれば良い。





      そう祈っていれば、自分自身は必ずそういう人間になれる。




         他人は、変えられない。




 でも、自分自身は変えられる。





              皆が環境のせいにするのではなく、




  どんな状況においてもなりたい自分になれる自分をを一心に祈れば、




 
            きっとさらに主体的で、活性化した




                   世の中になるのでしょうね。。。












きっと

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ある記事より


   「インド独立の父」マハトマ・ガンディー(1869〜1948)は、
今から約80年前、このまま進めば資本主義社会には「七つの社会的大罪(Seven Social Sins)」が蔓延するであろうと強い警告を発しました。

彼がヒンドゥー教徒の凶弾に倒れてから今年で60年、今、冷静に先進各国を見渡した場合、彼の慧眼に改めて驚愕の念を禁じ得ません。

以下がその ”Seven Social Sins” です。   (邦訳及び順序は筆者による)


  1.Politics without principle    ——政治に哲学が無い罪

  2.Commerce without morality   ——経済にモラルが無い罪

  3.Science without humanity    ——科学に人間性が無い罪

      科学のこれまでのところの最大の罪は、核兵器を作り出したこと
      と言えますが、放置すれば、より大きな罪が生まれるような予感
      がしています。

   4. Worship without sacrifice    ——禁欲無く神だのみをする罪


  上記の如く、「政治」も「経済」も「科学」も「宗教」も、【罪まみれ】ということですが、その辿り着く先には、更に次の三つの大罪が待ち受けていると
ガンディーは喝破しています。

    5. Wealth without work    ——汗水たらさず富を得んとする罪

       昨今の「サブプライムバブル」の崩壊は、この罪に対する天罰
       なのでありましょう。

    6. Knowledge without character ——知識はあっても品性が無い罪

    7.  Pleasure without conscience ——自制心無く欲望を追求する罪

     




    偉大な先人の洞察力は、




              本当に神懸かり的だ。




  しかし、現状をつぶさに見つめ、歴史を鑑みれば



 
           これからどうなっていくかがわかるのだろう。




  この記事を見たとき、本当に鳥肌が立ちました。




  今まさに世界がそうなっている。




   これから人間はどの道を選択していくのか。




     真剣に考えるときが来たのでしょう。。。






 

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   妙に納得のいった結婚に対する見解。



     なるほど、そういうことだよね。

       

  ~ニューヨーク在住のサイキック・カウンセラー原田真裕美さんの


                                        提唱している「魂の結婚」~
  

  私は長年サイキック・カウンセラーとして、恋愛と結婚に関するありとあらゆる場面に接してきました。
そこでいつも感じるのは、私たちは結局「魂の安住の地」をずっと探していて、そのために恋愛も結婚もあるということです。

 迷いや失敗もその人に必要なだけあるのでしょうが、でもやっぱり、できれば真っすぐに、魂の休まるパートナー、つまり「自分の片割れ」のいるほうに向かって行ってもらいたいですし、すでに片割れのいる人には魂の安らぐ関係を築いてほしいのです。

「魂の結婚」とは、夫婦として一緒にいることよって、いつも自分の1番純粋な根っこの部分に戻れるような関係です。魂は物事を真相を純粋にとらえます。肉体にくっついた、あらゆる感情を超えた、もっと根っこの部分にある判断力が、魂の声の出所です。

 お互いの生きる姿を見つめ合えば、そこに「本来あるべき自分の姿」を観ることができる。いろいろ問題が生じたとしても、1番根っこの、純粋に幸せに生きたいという願いや、自分を信じる力、そして自分に正しいこと、そういった自分の原点に立って、いつも自分を修正できる。決して一時的な物事に振り回されないでいられるように支え合えるのが「魂レベルで結びついた夫婦」だと思うのです。


         2007年2月出版 「あなたは出会うべき人に必ず会えます」より抜粋



     しかし、コレはひとつの見解であって、




  正しいとか、正しくないとか、正解とか、間違っているとかそんなのない。




    私は、個人的に、とても共感したというお話。




                ただ「結婚」というものについては、




     本当にいろんな価値観や見解が人によっていろいろアル。




        ・・・だから、



 
    自分がどういう結婚や、結婚生活を望むかということ。




            結婚観をきちんと持つことかな。




      そのような夫婦関係になるから。




               大事でしょうね、独身も、既婚者も。




               深いなー。




          今日はまじめに「結婚」について




                        考えてみました



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 恋は下に心があるから、下心、




         愛は心が中心にある、




       基本的にそこが違う。





      しかし、両方人間にとって苦しさはあります。




 恋は、「相手が思い通りにならない」苦しみ。




           愛は、「我(エゴ)を殺し、相手に尽くす」その痛み。




         どちらも人間を成長させるくるしみでありましょう。




        しかも、それをちゃんと味わう事こそが





               人として生きる醍醐味でしょう。。。








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mika さん
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「聞き上手だね」と言われる美容師
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 ♪なりたいあなたになれるわ~
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