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名古屋市中区にある、ヘアサロンvice-versa
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  最近、さんでぃが








  お散歩デビューしたので。











   私、今朝から朝7時に起きて







 「早朝お散歩」







            し始めました。









  すごーい、気持ちいいー








  朝って、いいですよね。









    さんでぃも、寒いけどうれしいみたいで








  おおはしゃぎ。









  寒いので、服を着せています。








    やっぱり、着せる飼い主でした








  よく、「それはそう見えるだけでしょ」って言われるんですけど









    ・・・寒がってるんですよね~、絶対に。



  





 だから 今度、やっぱりダウンでも買おうかと思っている私です。









     







    ・・これって、痛い感じ?(笑)









   まぁまぁ。








 今日は、初めて他のワンちゃんに会って、









  さんでぃ的には、超衝撃だったと思う。








  しかも、おおーきくて立派なゴールデンレトリバー。








   さんでぃの何倍あるんだろー??









  「きれーだねー。かわいーね」









    ちゃんとお座りして、とってもお利口さん。









      ゴールデン君は、のんびり優雅で、









  サンディになんか、全然動じない。








  さんでぃは、ひとり(一匹?)で大さわぎ(笑)








  周りをまわってみては、おしりをクンクン。








  お顔をクンクン。









  最後は、なぜか後ずさってました

 

 

 

 

 

 


     これはこれは、器が知れてしましました











     初めて他のワンちゃんのにおいをかいださんでぃ。










  初体験

 




 自分も犬だってことを、認識するためには









  とっても大事なんだって






 

  
私の参考書、「いぬのきもち」に書いてあった。








  よかったねー、さんでぃ。










     すこし前に、









   ビバリーヒルズにお家を持ってる人が見せてくれたんです、









    「愛犬との早朝お散歩」の写真。










 朝もやの中、上りゆく朝日を浴びながら









     緑が続く道を、愛犬と一緒にお散歩。










       超素敵

 

 




完全に映画のワンシーンですから。









           忘れられない。









そういうふうになるんだ。










    朝もや、朝日・・・鳥が鳴く自然あふれる中、お散歩するんだっ










それから帰って、バルコニーでヘルシーな朝食。









  いいわぁー










  妄想は膨らむ膨らむ。









  今のところもいいんだけど、現実感アリアリで









  登校する小学生と一緒だからね(笑)









でも、とっても気に入ってマス。








 
  「早起きは三文の得」とは、








  本当によくいったものです。








    さんでぃのおかげで、










          良い習慣ができそうですわ

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  私は、







  「強くて優しい人間」になりたいと思っている。









 これは、先人の言葉の引用から。







  


 しかし、優しいということと、思いやりがあるということは違うという。










    
  先日、本を読んでいてそれが論じてあった。









    それで、やはり日本語は似たような言葉でも









ニュアンスが微細に使い分けられていること、









  そして色々な解釈の仕方があるのだということを知った。








 「人が困っていたらサッと手を出す親切が‘優しさ‘、

 これをしたらどうなるだろうとか、これを言ったらどうなんだろうと考えた上で行動するのが思いやり」




  例えば、小さな子供が目の前で転んだとします。

 すぐに助け起こすのが‘優しさ‘、ひとりで立つのを待ってそれから抱きしめてあげるのが思いやり






 そういうことか。






起こしてあげたい、手伝ったあげたい、抱きしめてあげたい・・・・

  人はそんな自分の優しさを押し殺して、本当の思いやりをかけなければいけないときもある。

   





  
なるほどね。







  言葉で整理すると、分かりやすいね。







 ここで定義している‘優しさ‘とは、自己満足的な、利己的なもの。









しかし、‘思いやり‘とは、相手の為を思う行動、利他的なこと。








  なるほど。







  私は、常に‘思いやり‘と定義されるほうを‘優しさ‘と思っていたけど、









  確かにそう区別できるかも。








    ここで言う‘優しさ‘は、‘易しさ(やさしさ)=‘甘さ‘でもあるみたい。








  だから‘やさしさ‘と表記した方がいいかな。







   ‘優しい‘の‘優‘という字には、







  ここで言う‘思いやり‘のようなニュアンスも、









            含まれているように思うから。








 人が人に深く関われば関わるほど、生半可な‘やさしさ‘ではなく、

  時には厳しい思いやりも必要になります。



 心から、その人の幸せを考え、思いやりから手を貸さなかったのに「冷たい人だ」と

 誤解をされることもあるかもしれません。






 本当にそうだなぁ。






  しかしそれからは、





  
 思いやりには時には説明が必要なときがあります。


 「あなたのことが心から大切だからこうしてるんだよ」






  そうだな、確かに初期段階や短期間のコミュニケーションには








  説明は必要で、有効かもしれない。







  でも、それは、私はいずれでよいと考えました。








 その時は、分からなくても、







  しかも分からなくて、摩擦があって、







  もしかしたら気まずいまま、離れてしまうかもしれない。








  でも私は、それを分からないうちはそのまま









その人がその課題を残して生きていくことが大切なような気がします。







  説明されて、その時は分かったような気がしても、







  やっぱり自分で気がつかなければ







     人は本当には理解できないと思うのです。

  







心のどこかにずっとひっかかって年を取る。








 そして、まだ解決していないうちは同じような問題が








      常に身に起こる。








  そしてある日、徐々に深まる人との関わりや同じような摩擦の中からふっと答えが見つかる。







 いずれその人が「ああ、あれはこういうことだったのか」時がつくときがくると。







 こなかったら、 それはそれ。








    本人が自分で分かるときが時がきますように。









   わたしはそれが本当の‘思いやり‘だと思うのです。







 それまで、どう思われてもいいや。って思っちゃいます。






正直、そんなにそれが気にならない(笑)








      だって、その人が良くなればいいんだもん。








     今後信頼関係を築けば、必ず理解出来るときがくる。









  私はそう信じることにしています。





  
 逆にあなたは、周囲の人の自分に対する‘思いやり‘に気がついているでしょうか?

何も言ってくれない、助けてくれない・・・あなたがその人に抱いている恨みは誤解かもしれません。
    



  よく見てください、誰があなたを本当に大切に思ってくれているか、

 手を貸さずとも、あなたをそっと見守ってくれている人があなたのそばに必ずいます。







  そう結ばれていました。







 今は、そういう‘思いやり‘に触れる機会が減っているのかも知れません。








   親の愛、本当の親愛とは・・・







  五感が鈍ると、分かりやすいことしか理解できなくなるようです。








  世の中、深く滋味に満ちたことがたくさんあります。








   それを知れるようになれば、どれほど豊かな人生になることでしょう・・








  やさしさと思いやり。








   あなたはどう思われますか?






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   そういえば、









  私、犬を飼いだしました。








 とうとう、








   思い切りました、私。









  独身の女性としては、









  やってはいけないことをしてしまったかもしれません









  でも、








  最高に幸せです。









   名前は‘サンディ・サンシャイン‘










  monogramの皆さん、








  よろしくお願いしますね。









    

          ・・・ずっと皆様にいつ言おうか、言おうかと思っていたのですが









   ‘金魚のたろーチャン‘のことがトラウマで










  






    生き物を飼うのに臆病になってしまった私は、








  なかなか言い出せずにいました。









  ようやく、3回のワクチンも終わり、散歩デビューも果たしましたので、








    やっと、落ちつきました。








  もー、大丈夫だろ。











   だから、皆さんにご報告です








  
   新しい家族が増えました。









       うふふふ~







   

 
 超かわいいーのーよー






  子犬なのに、







おじいちゃんみたいなんですー









 
    ナイスなショットがないので、









     写真は、今度お披露目しますね



  
         


    

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   人間は、








 最初、何もできない。










  赤ちゃんのころ、








  寝がえりを初めてしたとき。









   …絶対うまくできなかった。










  しかも、誰も彼も、すべての人が。









   今、すごい人も、今、そうでない人も。









  初めてのはいはいもそうだ。










    本当にできなかったはずだ。









  体は、いうことをきかず、








   思うとおりに動かない。










        
  でも…できるようになった。









    
  だから、今それを当たり前としてる自分がいる。











   思い出してみれば、その時は、








赤ちゃんなりに、そーと必死だった









   はずだ。








    生まれて最初の‘人生の壁‘だろう。







  
 でも、立派に乗り越えてきた。










   だから、今がある。







 
  でもそれを最初から







  
      できていたかのように








 錯覚している自分がいる。








 
   最初から








  
  目で見ることも、







   
  耳で聞くことさえも、






  

  できなかった自分。









      歩くことも、







  走ることも、








   もの食べたり、








   ペラペラしゃべることも、








  何もかも、








  ぜーんぶ最初は出来なくて、








   もどかしい思いをしながら、








  お母さんにおしえてもらったり








  お父さんに支えてもらったり







   
  みんな‘おかげおかげ‘で








    当たり前にできるように








   なって








    今がある。






 
   乗り越えてきたんだなぁ。








  そう考えると、








  そんな赤ちゃんの時から








  人間は‘壁‘の連続で








  幼かった自分も、








  ちゃんと乗り越えてきた。







  人生とは、‘壁を乗り越えること‘








 
  ‘やれなかったことをやれるようになること‘なんだと








   言い切ってもいいのかも。









   すべての人にとって、








  人生とはきっとそういうものなのだ。









   だからそれでシックハックしているのも、あなただけじゃない。








  
  今も、昔も、







  人はそこはみな同じ・・はずだ。










  ありがとう、







     みなさん。支えてくれて。

  







それを








   やっぱり忘れちゃいけない。









  何もできなかった頃の自分があることを。









      そのプロセスを経て








     やれるようになった今があることも。











    人間は一人で生まれて









  一人で旅立っていくけれど、









  「生」の間は、








   ぜーんぶ一人では何もできない。








  できないところから







  始まって








         やれうようになっていく。









  そういう生き物なのだ。









  だから、感謝という感覚がある。









  忘れない。








 そして、「今ここ」を大切に、







 
     「今」できている自分で存在していることが、








  何よりも証(あかし)。











今、出来なくても、








  必ずできるようになる。










  そういうあなただから、








  きっと大丈夫。











   自分を信じて。









  未来のさらに素敵なアナタを創るのは、










  「今」のアナタ。









  私もやるよ、








  壁を乗り越える。









     
          ・・・・心から応援しているよ

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   私は、今年で37歳。









   いい年齢になった。








   人は、年齢を追うごとに賢くなって、








   美しくなっていく・・・







    ・・・いや、行かねばならない。と思っている。







  
   私は、TVを観ていても、人に会っても、








   この人はどのようにして生きてきて






 


  今に至ってるのか?








 と、意図的にみているというか、









    見えてしまうというか。









  少し話すと、何となくわかります。










  こういうのを「洞察力」と言います。









  「人をみる」こと、








  というのでしょうか。








  その人の「生きているモチベーションの源」








  「生きる力(POWER)」








    「(気持ち良くも悪くも)なぜ、 今、こういう状態なのか?」








  それを、言葉だけでなく、その人全体から








   感じ取ってしまいます。









  お仕事の場合は、お仕事レベルで。








  「いま、 なんで、ロングにしてるのかなー」とか、そんなレベルです。

 







      判断するための情報として・・です。








 
  これから話すことは、もっとパーソナルな距離の時のことですので、










  あらかじめ、お知りおきください。












  
    これは、もともとそういうところがあったのも、










  美容師によって開花したのもあります。









   「正体」を知りたいと









  無意識に思っているのでしょう。










  美容師としても、








  まずは、初対面では、自分を知ってもらい









  相手を知れなければ









「相手の知らない‘相手‘の魅力」を引き出す









そんな美容師としての醍醐味を味わうような








   私の理想とするお仕事の質にならないので、










年数を重ね、経験を重ねるごとに








 その「知る」までの時間が短くなっているのだと思います。










それも、非常に客観的です、







  

  多角面から、情報を拾いますから(笑)










   そこに主観があまり入らないのも、








   自分で不思議ですが。










    個人的に「好き」とか「嫌い」とか、








    昔からあまりないんです。









    「あ、こういう人なんだ」と、









  妙に納得してしまします。









 自分が合わせれるところは、合わせるし、










  それで、付き合うか、離れるか








  自分が決めるだけです。









関係ないかもしれませんが









  食べ物でも、








  ほとんど好き嫌いありません。








  「あたっちゃう」のが生牡蠣くらいで。









これは、、意識的じゃないですもんね。









  「ああ、こういう味(個性)なんだ」と納得してしまうので、









  それなりに美味しく頂けます。








   今まで生きてきて、








たべものの嗜好は、その人の「人間関係」の嗜好に似てると思います。








  あっ、恋愛は別ですよ(笑)









  恋愛は、超‘フィーリング‘







 

  馬鹿になるのが、‘恋愛‘ですから(笑)








これ、持論なんで、正しいかどうかは別です。











   食べるもので「生理的に嫌」というものは、








   ‘虫‘ぐらいでしょうか









   ‘虫‘食べるとこ、ありますよね、世界に。










 いくら、アフリカの奥地に行ってどうしても食料がなくても、








  ‘虫‘だけは、・・・‘虫‘だけは…








  ちょっと食べられるかどうか、自信ないなー。







  

  

    ・・・・‘虫‘を引き合いに出すぐらい、ありません。嫌いな食べ物(笑)









  

  ・・ちょっとお話がそれましたね










      ただ、人に対してあまり好き嫌いはないけど、









          「合う」とか「合わない」とかは、










   すごくあります。








  ただ合わないから「嫌い」というわけでもなく、








   違うから興味をい抱くこともあります。









 それは、いいとか悪いとか







  そういうことではありません。








   それで、私がジャッジするとか、








 
 こうした方がいいとかアドバイスするとか、









   そういうことでも、まったくありません。









  その人の生き方、









 人にとやかく言われる筋合い、ないですもんね。









   自分の人生、








  自分の好きなように、納得するように







 

  生きていけばいいと、思っています。








  それは、自分にとっても同じ。









  人にとやかく言われるいわれもないし、







  
             誰かが責任とってくれるわけでもない。









 「あなたの言うとおりにしたんだから責任とってよ!!」って言われても嫌でしょうしね(笑)









   人は、人を変えることなんて、







  できません。








  変えられるのは、‘自分‘だけ。








     ‘その人に対する自分‘を変えるか









    その人が‘変わる‘気になったとき。









   だから、‘人が変わらないこと‘についてやきもきしたり








   批判したりするのはナンセンス。










  ‘変わらない‘相手について、どうこう全然思いません。







  聞く耳持たないのは、








  その人にその気がないのです。









   ただ、それだけ。








   「思いやり」がないのか、「無知」なのか、








  どちらかでしょう。









  どちらにしても、その人にとって、








      まだその`時`でないことだけは確か。









    それにその人は









  自分の好きに生きて、










その結果を、自分で受けるのだから。










      好きに生きたらいい。









せっかくの‘生‘だからね。










  そして、生き方がその人の‘作品‘だから。








  いい作品作りたかったら「質」あげるように








   自分を磨かなきゃ。










  自分が今いることに









 そうさせてくれる周りに、みんなに感謝して。









 その想いに則って、








  好きに生きたらいい。









   その思いは大事だからね。








  自分の周りを見れば、








   自分の今を見れば、








      自分がいま‘どう生きているか‘わかるはず。










  縮小型か、拡大型か。











  周りの人が、笑ってるか、幸せそうか、









  つらそうか、大変そうか。








   見ればわかる。









    みんながつらそうなのに、








   今の状況は、とても‘笑えない‘はずなのに








      なのにその中で笑ってる人は








    よっぽど鈍いか・・いやいや 器がある









   それか、その人が‘主体的‘な人なのです。









  じぶんで 態度を選んでる。








      どちらかといえば、その人が‘特別‘で(笑)







 
   ‘鏡‘の基準にはなりませんよ。









 
  自分のやってることが、









  世の中にとって、いい影響か、そうでないのか。









  自分が無関心なら、相手も無関心。









そうやってよく見ればわかります。












  私は、気持ちよくいきたい。








  当然、一緒にいる人にも、最高に気持ちよくいてもらいたいと思っている。









    お互いにプラスの関係、良い共存だ。









  それ以外ならば、







  一緒にいる意味はないと思っている。










  これは、ちょっと、ストイックな考え方かもしれないけど。









  でも、 私は、こう生きていくことが







  自分のためでもあるし、









        良い関係を結んでいきたい








 そういう人との関係のためでもある。








  妥協は似合わないし、







   する必要もない。









  私のこの繊細な感じ方をする優秀な体は、








この世に一つしかなく







     大切だし、







  
  私に与えられた時間も砂時計の砂がサラサラと落ちていくように








 一寸の躊躇もなく、刻一刻と過ぎていく。









  私にとって、時間は本当に大切なものだ。









  だから、絶対に無駄をしたくない。










    せっかくきれいな絵の具で仕上げようとしている一枚の絵を










 一瞬にして場違いな色で塗り変えてしまうようなことが、









  世の中には起こりうるのだ。








そういう「事故」がある。









  でも、そうなったら、またきれいな色で塗ればいい。







  人生は、水彩画でなく、油絵だ。








そうでない「色」だった、という結果論にすればいい、










  そういう主体的な考え方を自分に浸透させ、









 何度転んでも起き上がるタフさは身につけてきたが、








     しかし、やはり何度も繰り返すようなことは








    学習能力を問われるのは私の方だし、









 それを引き寄せているのも、私だから。








  だから、そういう環境を自分が選ばないことだ。









  同様に







 他の人に対しても、









  全く同じように思っている。








  「人には、価値がある」







 だから、大切にしたい。









 私は、人に対して「誠実」に接したいと思っているが、









  そう思っていない人も、世の中たくさんいるのは事実だ。







  だから、








  そういう人とは付き合わない。








    人に誠実でありたいと願いそう生きてる私は、








        そういう人と付き合うのが自然だということだ。








  後、他人の存在が、自分に入らない人。








  言葉も、声も。







そういう人って、いる。









 どこまでいっても、 自己中な人とは合わない。








    本人に自覚がなくても。









  私といることで気分が悪い人ならば、








  私とは、絶対に一緒にいない方が良い。







  

逆もしかりだ。









  だから、‘無駄‘で‘マイナス‘なかかわりは








 徹底して避けたいと思っている。








  それがお互いのためだ。







    
   お互いにいやな気分をして、痛めつけあう関係は、








  全く健全でない。








  お互いに、思いやりあって








  尊重しあっていける関係をはぐくむことが一番だ。







 「自分はああはならない」とか「絶対ああなっちゃいけないんだ」とは思いますが。








 冷たいのかもしれませんね、根本的に。









いや、でも、自分は信じてるんですよ、








  その人の「可能性」を。








   「きっと、いつか気づくだろう」と。








 「今は、その人にとってそういう時代じゃないんだ。









    頑張ってね」とか、思います。「いつか、わかる日がくるよ」と。

 












 集団でいて、








   皆に迷惑がかかって目に余るときとか、









  その人を大切に思うときとか、頼まれたときとか









そういう時は「こうした方がいいんじゃないの?」とか言ったりしますが、








   基本的に「人に言われたからってその人は治らないし、









     「大きなおせっかい」でお互いに気分が悪くなるだけなので、








  一方的には、絶対に言いません。







    言うことも、「サービス」ですから。








  サービスして恨まれることも、






  


   馬鹿らしいですからね(笑)








   私って、ドライな人間。
   










 だから、脳にいいことして生きていくのが大切なんです。












  お互いに、気持ちよく生きるために。


   

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プロフィール
HN:
mika さん
性別:
女性
職業:
「聞き上手だね」と言われる美容師
趣味:
気分転換の時には香りに拠る事
自己紹介:
♪あなたのすべてをゆだねてぇ~
 ♪なりたいあなたになれるわ~
   ♪その気持ちを大事にしてぇ~(私の気持ち)
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