[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
禅宗は、さすが‘禅‘にに対してやはり厳格な思想。
座禅の間は
自分を‘無‘に。
‘無‘というのは・・・・
・・・・難しい。
ひじょーに
難しい。
だって、だって。
煩悩が。
「‘無‘だ、‘無‘だ・・・」
思えば思うほど・・。
音も気になるし、いろんなことが頭をよぎるし。
挙句の果てには、
「あー、 ‘無‘ってなにっ
どういうことっ」
そして、きっとそういう時に
あの肩を「ぺシっ」って
されるんだ。
あの、‘座禅‘というシュチュエーションによく見る光景。
でも、そうやって、意味を求めること自体、
座禅をわかってないことなんだね。
「ただ座ること」なんだ。
「ただ、ここに在ること」だけになる、
その境地に至ることが、座禅の意義だろう。
息を吸い、吐き、
ただここにあること。
それだけでよい、
‘己‘は、それだけの存在なのだ
ソレがすべてなのだ・・・ということだ。
・・・・確かに。
私の大好きなあの人に、
「理由」は・・ない。
「いる」ことに、意味があるし、
それで・・・いいのだろう。
「意味」や「理由」をもたせようとするから、
渇望したり、失望したり。
ただ、自分の思い過ごしだけなんから。
ひとは。
そこに「いる」ことが
それが全てなんだ。
ソレが、象徴として「座ってる」自分 を
認識したり、受け入れたりすることなんだ・・・
なるほど。
「理由」を探したがるのが
煩悩なのね。
真理は同じなんだろうけど、
宗派によって、さまざまな考え、
スタイルがあり。
真言宗はもう少しおおらかで、
なに考えてもいいって。
でも、呼気と一緒に
体から出しなさい、と。
まず、自分のうちにある‘余分なもの‘を全て吐ききる。
そこから始まる。
ぜんぶ。
ぜーんぶ 吐ききる。
そして、
神聖な「白い」ものを吸い込むように。
深くふかーく、
吸い込む。
鼻を通り、のどを通り、
おなかにたまり、
横隔膜を広げる。
ちょっと、止めて。
口からゆっくりと、
吐く。
心の中の「阿」とともに
全て。吐く。
コトの初まりに想いをはせながら。
宇宙に浮かぶ星の、
宇宙を構成するひとつの要素である‘自分‘に
気がつく為に。
海の一滴、
ひとしずくも、海と同じ要素である。
ということは、それも「海」であるということだ。
ソレと同じ。
私たちは、「宇宙の一滴」
ということは「宇宙」であるのだ!!
そうか!!
そうで、あるのだ!!
はてしない、
はてしないなー・・・
わたしって、なんと果てしない
存在なのだろう。
すっげーや。
そして、もちろん。
あなたも。
ね。。。
だから、やっぱり、
なによりも、
尊い存在。
・・・なのだよなぁ
煩悩との戦い。② << | HOME | >> 想いを実現する為には。 |
02 | 2025/03 | 04 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | ||||||
2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 |
9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 |
16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 |
23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 |
30 | 31 |
♪なりたいあなたになれるわ~
♪その気持ちを大事にしてぇ~(私の気持ち)