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大スキな、
植村 秀さんの
私が、 超☆共感 した
語りです。
~HAIR MODE 2007年 9月号より
~近頃男性の美容に注目が集まっていますが、これをどう思われますか?~
植村(以下:U) いいことですよ。
僕は前から日本の男性にキレイになって欲しかったんです。
どうも男性は女性に比べて見劣りするんですよね。
このままだと、いろんな意味で行き詰っちゃうんじゃないかと心配でした。
キレイじゃないと行き詰っちゃうんですか?
U: そうです。おしゃれは‘健康‘と同じ位、あらゆる階層、あらゆる活動に欠かせないもんなんですよ。
どういうことでしょう。
U: スポーツ選手屋外国のエグゼクティブは、ちゃんと外見を磨いていますよ。
それは外を磨くことによって内面のバイタリティーが高まるからです。
外面が内面に影響する、と。
U: 自信を持つことが大切なんです。
外が整うとその気になる。調子が出ないときに気分転換する方法が2つあって、ひとつは映画、そしてもうひとつがヘアカットに行くこと。
髪がスッキリすると、のってくるんです。
人間、中身が大事。だからこそ、外もしっかりしなさい、ってこと。
最近OPENした男性専用総合美容サロンについて
U: ここはオアシスです。リラックス、リフレッシュ、リバイタライジング、休息であり、活力源です。
派手なヘアデザインより、働く男性の‘身だしなみ‘を提供したいと考えいています。
身だしなみですか?
U: 社会で影響力を発揮するには、人が見て気持ちが良くないと。
おしゃれは、自分の為だけにあると思っちゃいけないんです。
半分は他人のため、街のため。
自分を磨くことは、「環境」につながります。街は人が創るもの。
男性が格好よくなって、活力を増したら、もっと豊かな社会になると思いますよ(笑)
ある美容専門誌に
最近注目されている男性の‘美‘に対して語った
インタビュー記事の一部を抜粋しましたが。
本当にその通り。
美しい人が増えると、
街に活力が生まれる。
その人も、その人を見た人も、
気分が高揚するのだ。
街で人目を引くようなおしゃれをしている人見ると
「気合いがはいってるなー」と、
感心する。
おしゃれは気合が入ってないと、
出来ないのだ。
街には、気合を入れて出るのだ。
お家とは違う。
だから、街には、活気がある。
「よっしゃー!!」
気合を入れて街にでよう。
「うぉっしゃー!!」
気合を入れておしゃれをしよう。
とびっきりの自分を表現しよう。
こんなにステキになれるんだ。
「真 善 美」
最近、元気のない人がいたら。
300百円の栄養ドリンクより、この言葉。
それに触れる毎日を送ってみよう。
きっと元気が取り戻せるはず。
これから離れてしまっていると、
きっと人間は元気がなくなってしまうんだ。
その大切なことを教えてあげることが、
本当のやさしさ。
思いやり。
私は、美容師というラベルを持った
mika
という存在として
この
「人間として大切なこと」を
伝えていきたいと思っている。
それが
今世での「私の役割」のような、
気がしている。
世界の‘美の巨匠‘
故 植村 秀 氏
ちょと
強面(こわもて)な、
秀さんね♪
せーこさん。
ありがとうございます。
楽しみにして、来て下さいね
私は仕事柄、
雑誌が新しく出ると
ばぁーっと
チェックするのですが。
たまに、
本当に
「あー、その通りっ」って思う
コピーや、文章に出会うことがあります。
アウディーの広告
「調和とは何か?」
自然と文明の調和
環境とテクノロジーの共存
イルカと会話のできた
調和のアイコン
ジャックマイヨール。
「問い続けられるものだけが
その先へ進むことができるから」
「問い続けるから、先進できる・・・ さらなる洗練へ」
先進のテクノロジー開発を担っている世界的メーカーだからこそ、
環境に対する配慮を、責任を、
どう果たしていくのかを、
問い続けている
という。
哲学がありますね。
車、つくって、
売れりゃ何でもいいってことじゃないんだ。
でも、そういうメーカー
多いですよね。
1989年に
世界で最初に
乗用車で初めてハイブリッドカーを市販したのは、
アウディーらしい。
販売台数とか、
現在の規模とかではなく、
今後は、こういった
「フィロソフィー」を大切にしている企業しか
発展していかないような気がします。
ソレが、はっきりしていく時代でしょう。
「なるほどねー」
と思いました。
アウディー、かっこいい
私が、車買うなら、
アカのアウディーにします
私は、「言葉」が大好き。
言葉を扱う仕事だからかも知れないけど、
言葉には、「真摯」でいたいと思っていて。
いい加減に扱ってはいけないと思っている。
自分のためにも、人のためにも。
言葉は、思考の発露である。
思ってもないことを言うのは、
自分に嘘をついていることと同じで、
自分を疲労させる。
そして、言葉は、
時には人を殺すことも、
地獄に落とすことも出来る、
非常に危険で恐ろしい「武器」「凶器」にもなる。
物理的に肉体を傷つけることではないが、
今の、この過敏な世の中、
知能の発達した現代社会では
精神を傷つける、傷つけられることが、
何より問題となる。
その、
記号や情報に翻弄されすぎるという、
社会の精神的脆弱さも問題だけど、
あまりに心無い言葉を、
平気で垂れ流している場面に遭遇すると、
げんなりしてしまう。
というより、
気の毒になる。
TVでも、ゴシップ紙でも、ネットでも・・・・。
まぁ、
みないけどね。
気持ち悪くなるから。
五感が鈍ってて
その恐ろしさが分からないのかと
思うと、
気の毒になってしまうのです。
ぜーんぶ自分に
返ってくるのに・・。
利己的に
「言霊」の影響を軽く見て、
面白半分や、金儲けの為に
言葉を
穢して使っていると、
全部その穢れは
自分に返ってくるのに・・。
だから、
良い言葉、
美しい言葉を
使うように心がけたほうが良い。
心して扱うべきだ。
悪い言葉を使っている「モノ」「人」は、
「毒」を吐いているのと同じだ。
だから、「毒舌」という。
「正しい批評」と、「タダの毒舌」は違う。
公共では迷惑だ。
その人の、
きわめて個人的な意地悪思考が、
全国区で駆け巡る。
無防備でいると汚染される。
だから、「何を摂取するか」を、
本当に吟味しなければいけない時代なのだ。
そして、まだ判断できない弱者を
ちゃんとしたオトナが守らなければいけない
そんなの、
弱い人、子供などには浴びせてはいけない。
危険で、
何一つ徳はない。
ソレくらい、
現代社会では
言葉には「権力」がある。
だから、私は
社交辞令は
言わない。
だからって、
もちろん、
「真実」を
すべて口にしているわけではないですよ。
言葉にしなくても良いことが、
世の中たくさんあります。
大丈夫、
社会にはちゃんと適応してますから(笑)
軽々しく、
言葉を使わないということです。。
必要がないときは、
余計なことは言わない。
このように、
「真摯」に「誠実」に
取り組んでいる。
言葉は、思考のすべてを表すのではないけど、
さまざまにクリエイトできる共感ツールだし、
ドラマだ。
音やリズムがあって、
五感に訴えるものだ。
それほど、自分にとっては
大きなウエイトを占める
コミュニケーションツール。
昔から、「言霊」という考えがある。
桑田けいすけ氏も、歌っている。
だから、力強い言葉を使おう、。
自分の言葉は、自分の「耳」が、
一番近くで聞いている。
だから、
自分が発する言葉は、
本当に吟味しています。
自分を、社会を
気持ち良くするために。
心地よく、美しくしていく
お役に立てるように。
先日お亡くなりになった
美容家 植村 秀 さんの
語っていたインタビューにも、
先日いたく共感しまして・・。
「やっぱりねー、
さすが世界の「シュウ ウエムラ」 だわ
と思いました。
だから、私の考えも、
まったく世界に通用しないわけではないわっ
と、
息巻いた瞬間でした
今日はまた
久々に長くなったので(笑)
また後日に紹介しますね。
はなすこと
はなすこと あうこと
あなたを感じること
でもあなたは、
はなすことでは
私を感じない。
はなれているときに
私を感じる。
存在のリアル
存在の温度
私とあなたは
違う感じ方で
同じものを感じてる
あなたと生きている今日
あなたと過ごす未来
あなたと出会ったあの日
そんなのもう
どうでもよくって
ただ
ただ
静かにはなす
あなたを今
見つめられただけで、
私は幸せなんだと
感じた。
幸せを切望するあまり、
目の前が
一寸くらむ
真実を見失う
あなたは
それを恐れる
賢者
わたしは、
愚者だ
二人は はなす
二人を はなすこと
言葉はいらず
お互いの存在を
自分のぴったりとなりに
おくこと
それを
自ら
手放さないことだ
苦しくても、
涙があふれても、
疲れはて
奴隷のように
飼いならされて
格好よくなんて・・
方法はひとつ。
決してそれを
「手放さないこと」なんだ。
~ 23歳 詩人のうた ~
「会うことは、
目で愛し合うこと、
会わずにいることは、
魂で愛し合うこと」
私は、絶対に遠距離恋愛は出来ない体質でした。
いつも、五感を駆使し、
そのリアルな感覚に
絶対の信頼をおき、
それを研ぎ澄ますことに
集中して生きてきたから。
だから、実体を前にすれば、
言葉は要らない。
すべて分かる。
そんな感じでした。
だから、逆に、
実体の見えないことほど、
私を不安にさせることはないのです。
電話は、嫌い。
声は聞こえるけど、
二人の間に、
電話機は、邪魔。
リアルな声が聞きたい。
どうしようもなくそんな時も
あったりする。
そんなときは、
躊躇なく、その人の所まで走る。
「私」を届ける。
ただ、「会いたかったの」
本当の気持ち。
だから、「行動派」「肉体派」といわれるのね。
または、
情熱的とも・・。
でも、
私は、タダ、
リアルな感覚に頼りたいだけ。
不安だった。
相手は、
ちょっとびっくりする場合が多い。
「本当にくるとは・・」
「何できたの?」
「会いたかったから」
「目で、見たかったから」
ドラマみたいな台詞ですが(笑)、
相手が男女と問わず
いっちゃうから。
でも、
本当の気持ち。
それが、心地よかった。
だけど、年をとって。
相手のことも、
ちょっとは考えるようになりました。
あえない日が続いたり、
物理的に離れていたりすると
すぐに、飛んで行きたくなっちゃう
でも、
ちょっと、我慢することを覚えました。
それは、
この言葉に出会ったから。
若い私は、
「人を信じる」ということを
本当にはできていなかったんだね。
実体は、嘘をつかないから、
「ここにある」ということは、
嘘でないから。
がっかりしたくない私は、
それにすがってたんだ。
でも、
人の心は、
目に見えない。
だから、
実体が、そこにあろうがなかろうが、
一緒なんだね。
でも、会えれば、目で「愛でる」ことが出来るし、
相手のうれしそうな表情も見ることが出来て、
とても幸せ。
でも、会わずにいることは、
その人の「心」を、
自分が信じているかどうかが
試される。
安心することは、自分を信じることだ。
相手と心がつながっている
そういう心を自分が持っている。
そこに根っこがあれば、
どこにいようが、
会えなくても、
不安がることはない。
私は、あえないと、すぐに不安がってきゃーきゃー言う。
そんなのは、
うわべっつらだ。
「人を信じる」ことは、「自分を信じること」
自信。
それを、
私は、今
自分に課している。
トレーニング中。
大切な人を、
信じる自分。
その人が、幸せに「今」を生きていることを、
喜びとして。
私も、「今」を生きる。
それは、「傷つく」という次元とは、
無縁の次元。
私は、信じてる。
人の心は見えないけれど、
でも、
それほど、はっきりと「ある」ものは
他にない。
それを信じる「自分自身」に
光を見出そう

「会うことは、
目で愛し合うこと、
会わずにいることは、
魂で愛し合うこと」
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♪なりたいあなたになれるわ~
♪その気持ちを大事にしてぇ~(私の気持ち)